れもねーど

”lemon”=「ただの欠陥品」を、”lemon-ed”=「価値あるもの」に変えていくブログ

キックボクシング

 
今日はキックボクシングをしてきた。
5日ぶりである。
 
体を動かすのは楽しい。
人生において快楽というのがあるなら、それは三大欲求を満たす時と運動をしている時だと思う。
付け加えるなら、何かの芸術品に対して感動を覚える瞬間だろうか?
 
どれにしたって、身体に刺激が与えられ、それが契機となって快楽が起こる。
 
要は心とか幸せとかは、身体的な反応の集積でしかないと思うのである。
 
とか、
 
そんなことを書きたいんじゃなくて、体を動かすのは楽しいっていうことを書きたいだけの記事です。
 
 
 
今日やった内容としては、
 
・なわとび(6ラウンド=18分くらい)
・シャドー(時間わかんない)
・ストレッチ(3ラウンドくらいかなー?)
 
時間はあんまし覚えてないけどこんな感じ。
 
今週は割とずっと体調がよろしくなかったので、久しぶりのジム。
そして、それをトレーナーに伝えたところ「今日は軽くにしとこうか」ということで、こんな中身すっからかんのトレーニングと相成った。
 
最初、軽いストレッチをしてから、なわとびを飛び始める。
2ラウンドをぶっ通しで飛ぶのがワンセット。
それを3セット行う。
初めの1セットでは、ただ無心に飛ぶ。
次の1セットでは、脇に力を入れ、腕を下げないように回し続ける。
最後の1セットになると、腕が上がらなくなってきて、集中力が散漫になる。何度も引っかかる。
その度に脇以外で力が入っているところ、動きが無駄に早くなっているところを観察し、修正する。
 
6ラウンド飛び切ったら、次はシャドーである。
 
鏡の前に立ち、構える。
最初は手は下げたままで、足だけを構えの形にし、前後左右に飛び回る。
だんだんと足元が自然と動き出す。
 
次に、腕の構えを足す。
そしてまた前後左右に飛び回る。上半身と下半身が一体となるまでこれを行う。
 
全身が構えに馴染んだ時、左腕を軽く前に伸ばしてみる。決して力は入れずに、まっすぐ、前にいる人の肩に触るような気持ちで、左腕を前に伸ばす。
 
左腕を伸ばして、戻す。伸ばして、戻す。
 
だんだんと早くなる。
 
伸ばして、戻す。伸ばして、戻す。
 
十分に力が抜け、無理なく、無駄なく最速の動きに到達した時、
 
左腕の前後運動は、左のジャブへと変わる。
 
最高のジャブを打ち続ける。
最速の感覚を意識し続ける。
その感覚が腕に馴染んでくる。
 
そのリズムを全身で再現する。
 
ジャブに先立って、左足を踏み込む。
体重が、先ほどと比べ物にならないくらいに前に移動する。
拳が自然と繰り出される。
自分でも視認できないくらいの速度で、
拳は空気を撃ち抜く。
また、元の位置に、構えに戻る。
 
それをひたすら繰り返す。
 
体がジャブのリズムを覚えてきたら、今度は右ストレートを。
 
構えたまま、腰を回す。
右足が地面を蹴り、左足に重心がかかり、
腰が回転し、肩も連動して回る。
 
腰を回し続ける。
 
そのうち自然と右腕が伸びてくる。
拳を作らず、右腕を伸ばし続ける。
 
腰を回し、腕を伸ばす。
 
腰を回し、腕を伸ばす。
 
これを緊張なく行えるまで続ける。
腰を回し、腕を伸ばす動作を自然のものとすることが出来たら、
右ストレートを繰り出してみる。
 
拳を作った瞬間に、緊張がまた体を支配する。
速度が失われ、力は乗らなくなる。
 
繰り返していくうちに、伸ばした先を意識してはいけないということに気づく。
意識すべきは引く瞬間だったのだ。
 
腰を回し、腕を伸ばす。そして拳を素早く引く。
 
これこそが右ストレート。
 
拳を素早く引く。引く。引く。引く。
 
右ストレートを打つのが目的ではない。
拳を引くために、右ストレートを打っている。
すべての行動が、引く動作に集中された時、
右ストレートは最速のものとなる。
 
最速を感じきるために、ひたすらに打ち続ける。
 
……………
 
 
 
 
 
 
ということを感じながら、練習していた。
 
これは、トレーニング中に感じていたことを言語化してみたという、文章である。
 
スポーツというのは、とても楽しいものだが、
それ以上に最高の自己認識のツールなのだ。
 
今回俺は、最高のジャブやストレートを撃つために、自己を観察し続けた。
この行為を突き詰めると、自己コントロールの極地に至れるのではないかと期待している。
 
そして自己コントロールは、コミュニケーションを改善してくれるだろう。
 
そんな期待を持って、これからもキックボクシングに勤しむつもりである